【コラム】双葉町訪問日記

2012年6月21日

  原発被災者弁護団

 当弁護団で今年の3月まで活動をし,4月から相馬ひまわり基金法律事務所に所属している石川裕介弁護士のレポートと写真です。

 

 

 

地震や津波の被害は目に見える。放射線の被害は目には見えない。
しかし,どちらの被害も恐ろしい。
福島第一原子力発電所事故により避難を強いられている警戒区域では,今,両方の被害に悩まされています。

 

 

6月8日金曜日,依頼者の一時立入りに同行し,双葉町,浪江町に行きました。

 

 

一時立入りの受付場所である南相馬市原町区の馬事公苑で防護服と線量計をもらい,国道6号線を南に双葉町,浪江町を目指しました。

 

 

途中,南相馬市小高区を通りました。小高区は今年の4月16日に警戒区域から避難解除指示準備区域に設定され,宿泊はできないものの立入りは自由になっています。
以前,5月1日にも小高区を訪れたのですが,その頃に比べて片付いてはいるものの,地震や津波の爪痕が今でも随所に残っています。

 

 

小高区を超えると浪江町になります。
市境では,北海道警が検問を行っていました。

 

 

検問の向こう側は,平成23年3月11日のままでした。
警戒区域内は,時間が止まったままです。
コンビニ,ボーリング場,ホームセンター,スーパー。
以前ならば,たくさんの人が訪れていた場所。
しかし,今は,誰もいません。

 

 

地震の被害がありました。倒壊した建物があの日のままです。道路も陥没して通行止めになっているところが何カ所もありました。
津波の被害がありました。いわゆる“がれき”が至る所にありました。家があった跡がありました。一時立入りで訪れた人が,献花されていました。

 

 

地震や津波の被害を受けなかった警戒区域内の建物は,一見すると今でも人が住んでいるような状態です。しかし,長い間放置されてしまったため,放射線に汚染されたり,雨漏りしたり,動物が勝手に立ち入ったりといった被害を受けていました。

 

 

福島第一原子力発電所から4キロほど離れた場所で,放射線量を測りました。
視界には,原発の排気管がうっすらと見えます。
最大で17マイクロシーベルト/hもありました。

 

 

私たちは,1時間弱ほど警戒区域内に滞在しました。
その間に私たちが浴びた放射線量は7マイクロシーベルトでした。
この線量を1年間浴び続けると,帰還困難区域の基準とされる50マイクロシーベルトを超える値になります。

 

 

このように,今の警戒区域内は,戻りたくても戻れない場所なのです。
一刻も早く被災者一人一人が救済され,これから先の生活が少しでも良くなることを願ってやみません。
そのために,国が,東京電力が,弁護士が,被災者の立場や現状を十分理解した上で,被災者支援を行っていくことこそ,これから先,必要なことだと痛感いたしました。

 

 

                     2012年6月20日 石川 裕介

浪江町の様子(いまだにがれきが大量に残っていることがわかります。)

双葉町の様子1(3月11日のままです。)

双葉町の様子2(人気が全くありません。)

双葉町の様子3(原発事故以降使われていない駅です。)