【情報】避難等に係る損害の「終期」についての意見

当弁護団では,本日,原子力損害賠償紛争審査会委員各位に対し,下記の文書を送付いたしました。

 

原子力損害賠償紛争審査会 委員各位

平成24年3月14日

東日本大震災による原発事故被災者支援弁護団
港区虎ノ門1丁目8番16号 第2升本ビル5階
TEL:0120-730-750

 避難等に係る損害の「終期」について,以下のとおり意見を述べる。
第1 意見の趣旨
原子力損害賠償紛争審査会において,原子力損害の判定等に関する中間指針に関し,第二次追補等において,損害賠償の終期の目安を定めることに反対する。
第2 意見の理由
1 原子力損害賠償紛争審査会における議論の状況
現在,原子力損害賠償紛争審査会(以下「審査会」という。)では,避難指示区域・旧緊急時避難準備区域及び特定避難勧奨地点からの避難等に係る損害のうち,避難費用及び精神的損害(生命・身体的損害を伴わないものに限る)並びに上記区域を含む対象区域(中間指針第3)における営業損害及び就労不能等に伴う損害(以下併せて「本損害」という。以下同じ。)について,近く「第二次追補」において,本損害の終期の目安を定める予定であるとされ,「政府による避難区域等の見直し等に係る中間指針第二次追補(素案)」(以下「第二次追補素案」という。)が示されている。
このような審査会の動きに対し,原子力損害賠償紛争解決センター総括委員会は,「『政府による避難区域等の見直し等に係る中間指針第二次追補のイメージ(案)』についての意見 」(第25回審査会資料2。以下,「センター意見」という)として,避難指示解除準備区域及び旧緊急時避難準備区域についての「避難費用及び慰謝料の終期を現時点で定めることには,反対である。避難費用及び慰謝料の終期(避難指示等の解除から相当期間経過後の『相当期間』)は,自宅に居住可能になることだけではなく,そこで必要な収入を得られる状態になることを基本に考えるべきである。」との意見及び就労不能等に伴う損害について,「終期を『原則として,本件事故発生から○年』と定めることには,反対である。」との意見を表明した。
当弁護団は,以下に述べるとおり,上記センター意見には,基本的部分において賛同するが,避難の終了はそこで必要な収入を得られる状態になることのみをとらえるべきものではなく,避難者の現状及び認識に十分配慮して検討されなければなないものであり,原子力事故の終息時期すら全く予測できない現状においては,損害の終期の議論を開始することすら時期尚早であると考えるものである。

2 事故は終息していない
政府の発表によれば,福島第1原発が「冷温停止状態」となり「住民の生命,身体が緊急かつ重大な危険性にさらされるおそれ」がなくなった,とされるのは,ステップ2が完了したと言われる平成23年12月18日である。しかし,原子炉工学において原子炉の「冷温停止」という場合,原子炉内の核燃料が安全に管理されていることが前提とされるが,福島第1原発においては,現在の原子炉内の燃料の所在すら正確に確認されていない状態であり,到底「冷温停止」状態といえるものではない。仮に,それを置くとしても,平成23年12月18日までの間は,政府の認識においてすら,再度大きなアクシデントに見舞われるリスクが否定できない状態が続いていたということであり,ステップ2が完了したとされる後も,福島第1原発は平常時と比べて極めて脆弱な冷却システムに依拠しており,放射線防護の要と言われていた多重の防護システムもことごとく破壊されてしまっているのであって,例えば炉内温度計の急上昇など想定外のトラブルが続いていることは周知の通りである。このような状態からすれば,本件原子力事故が終息したとは,到底言えるものではない。

3 「避難」は終了していない
センター意見にも記載されているとおり,旧緊急時避難準備区域の現況からすれば,同地区について避難者が帰還できる状況にないことは明らかである。さらに,当弁護団において把握している別紙記載の避難者の現状からすれば,避難の必要性が早期に解消することは考えがたい。
これまで審査会では,相当期間の判断にあたって,①インフラ復旧・雇用対策といった帰還の前提条件に必要な期間と②条件が整備されてから帰還の準備に必要な期間の2段階があるとの理解の下(但し,避難指示解除準備区域は①が終了した段階で解除するため,②のみが問題になるとされている。),緊急時避難準備区域の解除後の「相当期間」について,「例えば,今述べた帰還が可能になった時期から2か月というように,避難しているところから帰るために必要な期間として,ある程度一律に扱うことも必要なのかなと思います」「まず8月末あたりで切って,しかし,事後的な修正の余地を残す」といった議論がされている(第23回審査会議事録17頁野村委員発言,中島委員発言)。
しかし,この「8月末」という期間には全く根拠がないばかりか,上記のとおり,帰還をめぐる被害者の認識に全く配慮がないものである。さらに,第19回審査会において報告された福島大学の丹波准教授の調査によれば,「全体としては,7割の人たちが,いずれ戻りたいというふうに回答している」一方で,「『国が示す安全なレベルまで放射線量が下がれば,すぐにでも戻る』というふうに答えた方は4.4%」しかいない。「『放射線量が下がり,上下水道,ガス,電気等の生活インフラが整備されてから戻る』と答えた方は16.2%」「『除染計画後』と書いてあるところですけれども,その前の2つに加えて,『国や自治体による十分な除染計画が策定・実施されれば戻る』と答えた方が20.8%」「『他の町民の人々がある程度戻ったら戻る』と答えた方が25.5%」となっている(第19回審査会議事録21頁福島大学丹波准教授発言,資料3-1・22頁ないし24頁)とされ,インフラが整備された段階で帰還の意思を示している者ですら,約2割ほどしかいないのであり,単に必要な収入が得られる状態になるだけでなく,そこで家族との安全な社会的生活が可能となる状態にならない以上,避難の必要性は継続すると考えざるを得ないのである。
従って,現時点で賠償の終期を定めることは,避難者に生活困難な地域への帰還を強制するに等しいものであり,避難費用及び慰謝料の終期に限らず,現実に発生し,今後も発生する事が確実に予想される原子力損害について,加害者である東京電力に対し,その損害発生原因である原子力事故の終息前であるにもかかわらず,その賠償の支払を免れさせるに外ならない。
上記のとおり,現時点では事故自体の終息や,避難が終了したと判断される状況及び今後発生する損害の正確な予測等,検討することすら困難な事情が山積しているもので,現時点では,損害賠償の終期の議論を開始するに足りる資料が全く不足していると言うべきである。
審査会は,現実に避難している被害者の声に真摯に耳を傾け,その現状に沿った指針を検討されることを強く望むものである。

 

以上

別紙 旧緊急時避難準備区域からの避難者の声

・Aさん(4人家族。父,母,長女(高2),次女(中2))。

自宅は南相馬市原町区(20~30キロ圏内)。

山形県高畠町へ避難したが,自宅付近の放射線量が高いため,母,長女,次女は未だ帰宅しておらず,父のみが会社への勤務のために,単身帰宅し,土日に父が山形へ帰る生活を続けている。
長女は,もともと郡山市の病院に通院しており,現在,避難先から郡山市の病院まで月1回通院している。次女は転校を強いられたため,同級生と離ればなれ。
・Bさん(5人家族。父,母,長女,長女の娘(3歳),次女)。

自宅は南相馬市原町区(20~30キロ圏内)。

自宅付近の除染作業がまだ行われていないため放射能が心配。

帰宅したいが長女の娘が3歳であることから,長女と長女の娘のみ相馬市に避難中。長女の仕事場が南相馬市原町区内にあるため,娘を相馬市の保育園に預け,毎日,避難先(相馬市)と会社(原町区)との往復(車で40分~50分)を強いられている。

今までは,長女が働いている間,同居家族が長女の娘の面倒を見てくれたり,買い物をしていたが,一家が離ればなれになり,3歳の幼児の世話を全て長女が行わなければならず,長女の娘を保育園に迎えに行ってからの買い物は遅くなってしまうため,買い物を週一回に減らした。

 

・Cさん(60代と70代の夫婦)

南相馬市原町区(20~30キロ圏内)から避難中。

夫が重い心臓疾患を患っている。

元々夫は心臓の治療のため,定期的に南相馬市内の病院と仙台の専門医のところまで通っていた。

しかし,まだ常磐線が復旧しておらず,仙台へ行くにはバスで亘理駅まで行き常磐線に乗り換える必要がある。夫は車を長時間運転することもできず,バスの乗降なども負担が大きく,簡単に帰宅することができない。

また,夫がいつ心臓発作を起こすか分からないにも関わらず,事故前に南相馬市内において定期的に見てもらっていた医師が仙台へ避難して開業しているため,現在に至るまで南相馬市内において夫の心臓疾患に緊急対応することのできる病院ないし医師がおらず,帰還は現在も不可能な状態となっている。
さらに今後の医療全般に関する不安も大きい。南相馬市内の総合病院は,医師の人手が足りていないせいか,入院してもすぐに退院させられて体調を崩してしまって再度入院した人もいたとの情報を聞いている。

帰宅することができない事情のもう一つには,やはり放射能への不安がある。

自宅は他の地域と比較して空間線量率が高いが,先日市役所に聞いたところ,

「除染計画が大幅に遅れていて,年内にあなたの家のあたりまで除染することはできない」

と言われた。

妻も脳に動脈瘤があり夫婦だけで自宅を除染することなどできない。

十分な賠償を受けることができない現在,業者に除染を依頼するような余裕もなく,一体いつになったら安心して帰ることができるのか,不眠に悩まされる日々が続いている。

(審査会の委員や東京電力に対して言いたいこと)

ご自身達がもしこういう地域に家を持っていて,体調が優れない家族や小さな子
どももいる場合に,どのような状態になれば安心して帰ることができるのか。

審査会の先生方には,東京にばかりいて東京電力や官僚の言うことを信じるのではなく,実際に現地を見て私達の声をきちんと聞いてもらって真剣に考えていただきたいです。

 

D南相馬市原町区(20~30キロ圏内)からの避難者

(病院関係について)

原発事故前南相馬原町区には病院が4箇所,医院はかなりの数があった。

震災(原発事故)以来病院の医者が辞めたり,大学病院からの派遣医師(曜日指定)も南相馬市には原発事故以来診察に来ていないのが現状。

病院3か所は少しづつ診療を始めてきてはいるが,診察は行き届いたものとは言い難い。

風邪や打撲程度であれば大丈夫だろうが,つい最近も救急車で知人の親が運ばれて治療を受けたが,以前に通っていた病院は救急対応が出来ず,既往歴も把握していない病院で容体が急変し亡くなった。

今南相馬市で「救急を要する病気,けがになれば死ぬしかない」と言っている。現在南相馬総合市立病院においても医師を30名募集しているとの情報を聞いている。

(線量について)

線量については1年経過して当初の8割程度にはなって来てるらしいが,それでも屋外で平均1.2μs/h,室内の窓際近くで0.8μs/h,室内中央付近で0.5μs/h程度。

(学校について)

学校・公園等は除染されたが,若い世代の家庭は戻っておらず,小・中学生は事故前の2ないし3割程度の人数しかいない。高校で,定員の6ないし7割程度の人数になっている。相馬市内の高校であればほぼ9割程度の生徒が戻っている。

(インフラについて)

南相馬市原町区については,電力,水道,下水道は海岸沿いの津波等の被害が及ばない地域は復旧している。

しかし,交通機関について,常磐線が東京方面へは復旧の目途がたっておらず,仙台方面へも亘理まではバスを併用しなければならない。高速道路の建築も休工中で,全く機能していない。

唯一の国道6号も南相馬市といわき市との間は通行不能。

また,原発事故以来,商店や飲食店等の閉店が続いている。

以上のことから,住んでも機能しない物も多く不自由な生活,病気への不安,放射能の影響を考えると,特に若い年代は戻ることのできない状態が山積みとなっているのが現状。

 

 

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